Suwa Nejiko 諏訪根自子 (1920-2012) japanese violonist - 1930s
さらにこちらでは
700 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 01:19:04.11 ID:F+Dq1Q8q
日本の象徴びいきの外国人の話をひとつ。
出典は「天皇陛下と語る」細川隆元著。昭和天皇のお話です。
著者との対談で、昭和天皇に仕えた入江侍従長が語った話がもろに「昭和天皇びいきの外国人」
でとても面白かったのでここに置いておきますね。
ちなみに昭和天皇の人となりは「超越している」というのが入江侍従と著者との共通認識になっていました。
以下それを如実にあらわすエピソード。
「前の式部長官の人に聞くと、クーデターでその地位についたというような人がくるでしょう。もうすごいんですって。
威張って。ところが、陛下に三十分ほどお目にかかって、帰るときには、もうすごく穏やかな雰囲気になっている。」
「ローマ法王が去年こられましたでしょう。で、陛下と三、四十分お話しして帰られた。車が走り出したら直ぐ接伴員に
『きょう、陛下にお目にかかってはじめて日本人の心の美しさがわかった』
といったというんです。
ミッテラン大統領なんかでも、初めは硬直しているんですね。それが終わり頃には、陛下をいたわるようにして大変
でしたね。非常に美しかったです」
「私も陛下のお供してバッキンガムへ泊まったんですよ。イギリスは気位が高いですから、いかなる元首といえども
二晩だけだ、第三夜はホテルへいってくれ、という規則なんです。だから、こちらも控えめに出て、『二晩泊めて
いただきましょう』と、三晩目は何処のホテルが良いか、とやっていたら、クィーンが
『いや、日本の天皇陛下はどうか三晩ともお泊まりください』
と。だから三晩になったんですよ。だから、ぼくも泊まっちゃったわけ・」
701 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 01:19:27.48 ID:F+Dq1Q8q
この本に書かれていたわけではないですが、百戦錬磨の外交官も陛下に謁見となるとガチガチに緊張していた、
ということも少なくなかったそうです。
アメリカのフォード大統領は陛下にお会いしたとき足の震えが止まらなかったとか。
陛下の隣でフォード大統領が左手と左足一緒に出して歩いちゃってる写真が残ってますね。
この本を書いた細川さんは「時事放談」を作った政治評論家で毒舌家。衆議員もこなし長ら内閣
の憲法調査会で仕事をしてきた人。
また、無位無冠な身で陛下に長時間謁見した初めての人で、当時議論されていた「国家元首なのか
象徴天皇なのか」「天皇の地位はどうすべきか」を昭和天皇がどう感じているか尋ねようと思っていたらしい
んだけど、会談しているうちに、「地位がどう変わろうと”天皇陛下としての本質”は何も変わっていない。
超越してる。そこに陛下の存在価値があり、値打ちがあり、象徴天皇の真義はその一点にあるのではないか」
と確信し、用意していた質問は一切取り上げなかったそうな。
最後はスレ違いですが、この本に書かれていた、日本の象徴びいきの日本人の話。
「これは私が陛下の側近の一人から聞いた話だが、終戦直後、天皇が全国をご巡幸になったときのことである。
三井の三池染料工場をお訪ねになったことがあった。
そこの労働組合長というのは左の筋金入りの人物であったそうだが、陛下がその組合長に呼びかけられて、
『これは日本のために大事な産業ですから、あなたは組合長として組合員を鞭撻して、少しでも多く生産が
上がるようにしてください』
とおっしゃったということである。するとみんなが各工場から出てきて、門まで百メートルほどの所を、
「ワッショ、ワッショ」と大きな声を上げて陛下をお送りしたそうだ。その間、組合長は空っぽの工場にはいって、
ふたつにおれてないていたというはなしがある。陛下の柔らかいお言葉が、ひしひしと身に感じたと見えて、
組合長はみんなに向かって、「おれは引き受けた。これからおれは一生懸命やるぞ」と声高く叫んだという。
この工場では、その後生産が急カーブで上昇し、玄人筋がどうそろばんを弾いても出てこないはずの生産が
出来てしまったという。」
702 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 01:30:31.30 ID:F+Dq1Q8q
以上です。
もっと昭和天皇のそういう話知りたい、という方は
ttp://kukkuri.blog58.fc2.com/blog-entry-475.html
神道の法王みたいなもんだし後光が差したとかの不思議エピソードとかあるんじゃね?という方は
ttp://blogs.yahoo.co.jp/sitiyu33/3637254.html
が面白いと思います。
学生運動が吹き荒れていた頃は「天皇批判する俺カコイイ!」という風潮があったそうです。
そういう人は今もいます。批判するのは構わない筈です。無条件に批判するなというのもおかしな事ですから。
けれど批判するなら批判するで、「よく知りもしないで批判する」人は減って欲しい。
だから「もっと知りたい」と思ってもらえたらなという気持ちでカキコしました。
長文失礼。ROMに戻ります。
園児A「タクシーごっこやろうぜ!」
園児B「やろうやろう!」
園児A「昭和病院5分」
園児A「昭和病院5分どうぞ」
園児A「昭和病院5分10分どうぞ」
園児B「07、10分」
園児A「07了解、正面玄関前で佐藤様」
園児B「07了解」
園児C「16実車」
園児A「タクシーごっこやろうぜ!」
園児B「やろうやろう!」
園児A「昭和病院5分」
園児A「昭和病院5分どうぞ」
園児A「昭和病院5分10分どうぞ」
園児B「07、10分」
園児A「07了解、正面玄関前で佐藤様」
園児B「07了解」
園児C「16実車」
園児A「タクシーごっこやろうぜ!」
園児B「やろうやろう!」
園児A「昭和病院5分」
園児A「昭和病院5分どうぞ」
園児A「昭和病院5分10分どうぞ」
園児B「07、10分」
園児A「07了解、正面玄関前で佐藤様」
園児B「07了解」
園児C「16実車」
なぜ学校で教えないのか。 昭和天皇が自分は殺されてもいいから国民を救ってくれとマッカーサーに嘆願した事を、かつて敗戦国のトップで命乞いしなかったのは昭和天皇だけだという事を、感動したマッカーサーが食糧を多めに本国に申請して取り寄せてくれた事を、後にそれがバレて解任された事を!
昭和30年代に新幹線を短期間に実用化できたのは、実は航空技術者の力が大きかったのです。東大の偏差値は今は理3が圧倒的に高いですが、戦前・戦中に最も難関だったのは航空学科だったそうです。
その時代の一番優秀な人材層がゼロ戦を作るために航空学科に入り、終戦と同時に失業し、鉄道の研究開発に移った人が多数いました。そして時速210キロで走る新幹線の振動の解析や、モーターの開発や、運転席に指示を出しかつ誤操作を受け付けない信号システムといった、昭和30年代としては最先端の技術開発を担ったのです。
演歌は日本人の心の故郷とかいうデマはだれが作ったのだろう?演歌が出てきたのは昭和30年代中盤から。昭和20年代、美空ひばりはブギを歌い、三波春夫と村田英雄は浪曲歌手、三橋美智也は民謡歌手。当時、演歌歌手はいない。演歌は高度成長期に生まれた新しい音楽のジャンル。
考えてみると,私たちの国は現在世界の中で元号制を採っている稀有の国である。等し並みに西暦何年と言っている中で,影法師に拘泥りつづけている珍しい民族である。そしてこの不思議な制度は,確かに私たちの文化や,もしかしたら生命そのものにも深く拘わっているように私には思える。面妖な話と思われるかもしれないが,もし<昭和>という元号がもっと早く終わっていたら三島由紀夫はあのとき死ななかったかもしれない。または,そのぶんもっと早く死んでいたかもしれない。彼の満年齢と<昭和>の年齢が符合していた事実は,決してその文学,その生命と無関係ではないだろう。私は,三島由紀夫の死は<早すぎた殉死>だと思っている。
(via dan-pen)
李承晩ライン 1952年(昭和27年)1月18日
自由民主党 1955年(昭和30年)11月15日結党
20 コドコド(WiMAX) 2012/11/24(土) 13:51:43.42 ID:/GyLOeuX0
»17
そういうこと
24 黒(新疆ウイグル自治区) 2012/11/24(土) 13:52:58.65 ID:BWJXmrOb0
»17
バロスwwwwwww
25 黒トラ(京都府) 2012/11/24(土) 13:53:29.27 ID:aQ3ld80O0
»17
今年一番ワロタ
27 スフィンクス(新疆ウイグル自治区) 2012/11/24(土) 13:54:07.06 ID:VzwULY8r0
»17誰か教えてやれよw
南極探検隊の昭和基地第1次南極越冬隊でのエピソードです。
昭和47年元日、隊員に家族からの電報が届けられ、和気藹々、喜びのなか、
ひとりひとりが自分に宛てられた電報を読んで披露しました。
ある隊員の番になり、新婚の奥さんからの電報を読もうとしました。
ところが隊員は声にならず嗚咽がもれてきました。
周囲では訃報でもあったのかとざわめきました。
電文にはたった一言、「アナタ」と書いてあったのです。