最近、イマドキでない、ORマッパーなしでコードかく機会が何度かあったのだか、ORマッパーの欠点もあるなーと感じたのでメモ。
1テーブル1モデルにマッピングすると、5テーブルあれば5モデルになる。ここが気持ち悪いと感じた。
参照系でsqlでjoinした結果だと、もっと知るべき要素数は減っているはずである。最近やったやつであれば、5,6テーブルあるが、モデル上は全体-部分の要素2つで十分で、それ以上は多すぎると感じていた。
ちょっと、いろいろ考えさせられた。
日本で長らく定着していた終身雇用というのは、こうした「北欧モデル」とは正反対のものだった。会社のなかに労働力を抱えこむことで、失業を発生させない。いいことのように思われるが、会社をつぶせば食べていけなくなるので、産業構造の転換が進まない。生産性の低い分野にいつまでもこだわっているから、サービス残業も何のその、長時間働いても人も国も豊かにならない。豊かにならないから、ますます働かなければならなくなる。まったくの悪循環だ。
歌田明弘の『地球村の事件簿』: 悪循環に陥っている日本を救う北欧モデル (via proto-jp) (via jinon) (via kuwataro) (via otsune)
それだ!! 北欧モデルは失業者が出ることを前提にして社会全体でそれを支えようとする。日本は「失業者を出さない」という虚構を前提にして、その虚構を守ることには一生懸命になるが、現実に発生してしまった失業者に対しては見ないふりをする(差別問題などと同じ構造)。派遣格差問題もこれと同じところに起因してるわけだな。
(via raurublock) (via mcsgsym) (via yaruo) (via ukar) (via charzred)最近、イマドキでない、ORマッパーなしでコードかく機会が何度かあったのだか、ORマッパーの欠点もあるなーと感じたのでメモ。
1テーブル1モデルにマッピングすると、5テーブルあれば5モデルになる。ここが気持ち悪いと感じた。
参照系でsqlでjoinした結果だと、もっと知るべき要素数は減っているはずである。最近やったやつであれば、5,6テーブルあるが、モデル上は全体-部分の要素2つで十分で、それ以上は多すぎると感じていた。
ちょっと、いろいろ考えさせられた。
「ウエイトレス美人度指数」ですけど、基本的に美人は、モデルになったり有名企業の受付になったり、そもそもお金持ちと結婚して働く必要がなかったり、いろいろな機会にめぐまれています。もちろん美人のウエイトレスがいるレストランは流行ります。だから、レストランは美人のウエイトレスを雇おうとしますが、レストランの安い賃金では引く手数多の美人はなかなか雇えません。
しかし、景気が悪くなって、ラグジュアリーなファッション・モデルの仕事が減ったり、企業が受付なんかにお金をかけなくなったり、そもそも結婚相手のお金持ちが減ったりすると、美人のウエイトレスが増えてくる、というわけです。だからウエイトレス美人度指数というのは、経済の動向を占う重要な指標となりうるのです。
作者付記
この小説は、自分の行いのためにあまりにも厳しく罰せられた人々についてのものだ。みんな楽しく過ごしたかっただけなのだけれど、みんな道路で遊ぶ子供同然だった。仲間が一人また一人と殺されて――ひかれて、不具になり、破壊されてゆくのがわかっても、とにかく遊び続けた。おれたちみんな、しばらくはすごく幸せだった。すわりこんで、働きもせず、ヨタをとばして遊んでるだけ。でも、それは死ぬほどちょっとの間しか続かなくて、その罰ときたら信じ難いようなものだった。それをまのあたりにしても、まだ信じられないくらいだった。
たとえば、これを書いているとき、ジェリー・フェイビンのモデルになったやつが自殺したのを報らされた。アーニー・ラックマンのモデルになった友だちは、この小説を書き始める前に死んだ。このおれだって、しばらくはこの道路で遊ぶ子供たちの一人だった。おれも、ほかのみんなと同じく、大人になるかわりに遊ぼうとして、そして罰を受けた。おれも下のリストに載っている。この小説を捧げる人々のリストであり、その人々がどうなったかのリストだ。ドラッグの濫用は病気じゃない。それは決断であり、それも走っている車の前に踏み出そうとするような決断だ。そういうのは病気と言うよりも、判断ミスだろう。山ほどの人がそれを始めたら、それは社会的な誤りになり、ライフ・スタイルになる。このライフ・スタイル独特のモットーは、「今を幸せに――明日になったら死んでるから」だけれど、死ぬのはアッという間に始まって、幸せなんか思い出でしかなくなる。それならば、このライフ・スタイルも、ふつうの人間存在のスピードを上げて、集約したものでしかない。あんたのライス・スタイルとだって違っちゃいない。ただ、もっと速いだけ。何年単位のかわりに、何日とか何週間とか何ヵ月の単位ですべてが起こる。「現金をつかんで質草は流してしまえ」とヴィヨンが一四六〇年に言っている。でも、その現金が小銭程度で、質草が自分の一生だったらそうはいかない。
この小説に教訓はない。ブルジョワ的じゃない。働くべきなのに遊んでたりしてこいつらはけしからん、とは言わない。ただ、結果がどうなったかを書いているだけだ。ギリシャの劇は、社会として科学を発見しつつあった。科学とはつまり因果律。この小説にもネメシスの天罰が存在する。運命じゃない。おれたちみんな、道路で遊ぶのをやめようと思えばやめられたんだから。運命じゃなくて、遊び続けたみんなに対するおそるべき天罰なのだ。おれの人生と心の心底から、おれはそう言いたい。このおれはといえば、おれはこの小説の登場人物じゃない。おれ自身がこの小説なのだ。でもそれを言えば、当時のアメリカすべてがこの小説だ。この小説は、おれの個人的な知り合いよりたくさんの人たちについてのものだ。おれたちが新聞で読むような人たちについて。こいつは、仲間とすわりこんで、ヨタを飛ばしてテープで録音したりすることや、六〇年代という時代の、体制内外での悪しき選択についての小説だ。そして自然がおれたちに鉄槌を下した。おそるべき事物によって、おれたちは無理矢理遊ぶのをやめさせられた。
「罪」があったとすれば、それはこの連中が永久に楽しく過ごしたいと願ったことで、それ故に罰を受けたんだけれど、でも、さっきも言ったけど、おれの感じでは、その罰はあまりに大きすぎた。だからおれとしては、それについてはギリシャ式に、あるいは道徳的に中立なやりかたで、単なる科学として、決定論的で公平な因果律として考えたい。おれはみんなを愛していた。以下の人々に、おれの愛を捧げる。
ゲイリーンに (死亡)
² レイに――――(死亡)
² フランシーに (不治の精神病)
² キャシーに――(不治の脳障害)
² ジムに――――(死亡)
² ヴァルに―― (不治の重度脳障害)
² ナンシーに――(不治の精神病)
² ジョアンに――(不治の脳障害)
² マーレンに――(死亡)
² ニックに―― (死亡)
² テリーに―― (死亡)
² デニスに―― (死亡)
² フィルに―― (不治の脾臓障害)
² スーに――――(不治の血管障害)
² ジェリーに――(不治の精神病と血管障害)
……その他大勢に。追悼。これがおれの同志たちだった。それも最高の。みんなおれの心の中に生き続けている。そして敵は決して許されることはない。「敵」は、みんなの遊び方のまちがいだった。みんながもう一度、何か別のやり方で遊べますように。そしてみんな幸せになれますように。
作者付記
この小説は、自分の行いのためにあまりにも厳しく罰せられた人々についてのものだ。みんな楽しく過ごしたかっただけなのだけれど、みんな道路で遊ぶ子供同然だった。仲間が一人また一人と殺されて――ひかれて、不具になり、破壊されてゆくのがわかっても、とにかく遊び続けた。おれたちみんな、しばらくはすごく幸せだった。すわりこんで、働きもせず、ヨタをとばして遊んでるだけ。でも、それは死ぬほどちょっとの間しか続かなくて、その罰ときたら信じ難いようなものだった。それをまのあたりにしても、まだ信じられないくらいだった。
たとえば、これを書いているとき、ジェリー・フェイビンのモデルになったやつが自殺したのを報らされた。アーニー・ラックマンのモデルになった友だちは、この小説を書き始める前に死んだ。このおれだって、しばらくはこの道路で遊ぶ子供たちの一人だった。おれも、ほかのみんなと同じく、大人になるかわりに遊ぼうとして、そして罰を受けた。おれも下のリストに載っている。この小説を捧げる人々のリストであり、その人々がどうなったかのリストだ。ドラッグの濫用は病気じゃない。それは決断であり、それも走っている車の前に踏み出そうとするような決断だ。そういうのは病気と言うよりも、判断ミスだろう。山ほどの人がそれを始めたら、それは社会的な誤りになり、ライフ・スタイルになる。このライフ・スタイル独特のモットーは、「今を幸せに――明日になったら死んでるから」だけれど、死ぬのはアッという間に始まって、幸せなんか思い出でしかなくなる。それならば、このライフ・スタイルも、ふつうの人間存在のスピードを上げて、集約したものでしかない。あんたのライス・スタイルとだって違っちゃいない。ただ、もっと速いだけ。何年単位のかわりに、何日とか何週間とか何ヵ月の単位ですべてが起こる。「現金をつかんで質草は流してしまえ」とヴィヨンが一四六〇年に言っている。でも、その現金が小銭程度で、質草が自分の一生だったらそうはいかない。
この小説に教訓はない。ブルジョワ的じゃない。働くべきなのに遊んでたりしてこいつらはけしからん、とは言わない。ただ、結果がどうなったかを書いているだけだ。ギリシャの劇は、社会として科学を発見しつつあった。科学とはつまり因果律。この小説にもネメシスの天罰が存在する。運命じゃない。おれたちみんな、道路で遊ぶのをやめようと思えばやめられたんだから。運命じゃなくて、遊び続けたみんなに対するおそるべき天罰なのだ。おれの人生と心の心底から、おれはそう言いたい。このおれはといえば、おれはこの小説の登場人物じゃない。おれ自身がこの小説なのだ。でもそれを言えば、当時のアメリカすべてがこの小説だ。この小説は、おれの個人的な知り合いよりたくさんの人たちについてのものだ。おれたちが新聞で読むような人たちについて。こいつは、仲間とすわりこんで、ヨタを飛ばしてテープで録音したりすることや、六〇年代という時代の、体制内外での悪しき選択についての小説だ。そして自然がおれたちに鉄槌を下した。おそるべき事物によって、おれたちは無理矢理遊ぶのをやめさせられた。
「罪」があったとすれば、それはこの連中が永久に楽しく過ごしたいと願ったことで、それ故に罰を受けたんだけれど、でも、さっきも言ったけど、おれの感じでは、その罰はあまりに大きすぎた。だからおれとしては、それについてはギリシャ式に、あるいは道徳的に中立なやりかたで、単なる科学として、決定論的で公平な因果律として考えたい。おれはみんなを愛していた。以下の人々に、おれの愛を捧げる。
ゲイリーンに (死亡)
² レイに――――(死亡)
² フランシーに (不治の精神病)
² キャシーに――(不治の脳障害)
² ジムに――――(死亡)
² ヴァルに―― (不治の重度脳障害)
² ナンシーに――(不治の精神病)
² ジョアンに――(不治の脳障害)
² マーレンに――(死亡)
² ニックに―― (死亡)
² テリーに―― (死亡)
² デニスに―― (死亡)
² フィルに―― (不治の脾臓障害)
² スーに――――(不治の血管障害)
² ジェリーに――(不治の精神病と血管障害)
……その他大勢に。追悼。これがおれの同志たちだった。それも最高の。みんなおれの心の中に生き続けている。そして敵は決して許されることはない。「敵」は、みんなの遊び方のまちがいだった。みんながもう一度、何か別のやり方で遊べますように。そしてみんな幸せになれますように。
——————————————————————————————
http://www.yomiuri.co.jp/tabi/world/20031006sc22.htm
(ヤンソンがトゥーリッキと暮らしたクルーブハル島についての読売新聞記事)
中に、
「小屋の中に入ると、正面にヤンソンが使い込んだ木の机がある。1メートル四方ぐらいの小さな机。隣にはベッドが直角に二つ並んでいた。実は、独身を貫いたヤンソンはここで、生涯の女性のパートナー、トゥーリッキ・ピエティラさんと全(すべ)てを分け合って暮らしていた。シリーズに登場する「おしゃまさん」のモデルとなった豪快で愛情豊かな人物だ。 」
とある。トゥーリッキがヤンソンの「親友」ではなかったことを書いている数少ない日本語の記事。ただし、「生涯独身」てのは大いに矛盾してる。
ちなみに2004年8月の大丸でのムーミン展では、「おしゃまさん」のモデルは親友であるとだけ書かれている。——————————————————————————————
http://www31.ocn.ne.jp/~yu/diary/03_08.html
(ある人の日記に、トーベヤンソンとトゥーリッキの生活を写したフィルム(下記参照)を見た感想あり)
「Art 「PYH TILA 〈聖なる空間〉」 東京デザインセンター 2003.8.18〜2003.8.31
(中略)後半の展示の目玉は、島での暮らしを友人トゥーリッキ・ピエティラ(一緒に島で生活していた)が撮影した8mmを再構成し、トーベ・ヤンソンの文章を被せた45分のドキュメンタリー。百聞は一見に如かずというか、本当に岩しかない小さな島で、私だったら、そんな所に住むのは絶対嫌だな、と思うのだけど、二人とも、結構、楽しそう。中でも、小屋の外で、トーベ・ヤンソンが猫を抱いてダンスしているシーンが印象的だった。」
見たい。。とても見たい。。以下はイベントの会場となった東京デザインセンターのイベント履歴。
http://www.design-center.co.jp/events/event_2003.html#event_09——————————————————————————————
http://www.sappho.net/finlez/icons.html
Finnish Lesbian Icon: TOVE JANSSON
Then there is of course another Finn who writes in Swedish, the Moomin author Tove Jansson, who is world famous for her children’s books. She is quite out and visible as lesbian although she doesn’t use the word lesbian herself.
フィンランドのレズビアンアイコン:トーベ ヤンソン
スウェーデン語で書かれたムーミンの作者であり、児童書により世界中で有名なトーベヤンソンもいる。彼女は、レズビアンという言葉を自身で使ったことはなかったが、周囲に対して非常に開放的なレズビアンであった。——————————————————————————————
http://www.glbtq.com/literature/finnish_lit.html
Finnish Literature (an encyclopedia of gay, lesbian,bisexual, transgender,& queer cculture)
Another author who includes lesbian themes in her fiction is the creator of the internationally acclaimed Moomin characters, Tove Jansson (1914-2001). In Fair Play (Rent spel [1989]), for example, Jansson depicts two elderly ladies who share their lives.
フィンランドの文学
フィクション作品でレズビアンをテーマにとった作家のうちのもうひとりは、国際的に有名なムーミンのキャラクターで知られる、トーベヤンソンである。例えば「フェア・プレイ」という作品(R注:トーベ・ヤンソン・コレクション7として販売中)の中で、ヤンソンは人生を共にする年輩の女性二人を描いている。——————————————————————————————
http://joi.ito.com/archives/2003/12/01/elk_moomin_and_ice_breakers.html
(どなたかのヤンソンに関するブログ記事への発言のひとつです)
I refer here, that the famous Finnish children Moomin book writer Tove Jansson was a lesbian.
In Finland this was quite well kept “secret” and it did not harm his reputation and popularity. Well, it was not a secret, but it was never actively publicized.
Tove was also an excellent home moviemaker with her 8mm camera. Those home movies form her hideout in Summer-cottage was re-edited by one movie director and the movie was shown in Finnish TV in prime time few years ago. From that movie, you can see, that there was no “other man in the island” only other lady.
As a home movie fan, I have to say, that was a beautiful and artistic movie.
あなたの発言のうち、フィンランドの児童書ムーミンの作者トーベヤンソンがレズビアンであったという点について発言したいと思います。
フィンランドではそれは「秘密」として大事に守られており、そのせいで彼の(R注:彼女の、の間違い)風評や人気に陰がさすようなことはありませんでした。なんというか、実際は秘密ではなかったのですが、決して大っぴらに喧伝されることはなかったのです。
トーベはまた、ホームムービーを8mmカメラで非常に上手に撮っていました。彼女の隠れ家にあったこういったムービーは、ある映画監督により再編集され、数年前にフィンランドのテレビでプライムタイムに放映されました。このムービーから伺えるのは、彼女には「一緒に過ごす男性」はおらず、女性しかいなかったということです。——————————————————————————————
http://www.bfi.org.uk/news/releases/ 2004/2004-02-20-llgff-mainrelease.pdf
(今年のロンドンでのレズビアン・ゲイ映画祭の紹介記事)
Gay culture and history feature strongly in the programme with Tove
Jansson, the creator of cult children’s classics, The Moomins, revealed
through 25 years of home movies as a happy Finnish lesbian in Travel With
Love and Haru ミ Island of the Solitary.
熱狂的なファンを持つ児童文学の定番ムーミンを生み出した作家トーベ・ヤンソンのプログラムについては、ゲイカルチャーや歴史を語る上で特に強調しておきたい。ヤンソンは、25年にわたる二人の生活を撮影したホームムービー「Travel With Love and Haru ミ Island of the Solitary」の中で幸せなフィンランドのレズビアンとして登場している。——————————————————————————————
http://www.llgff.org.uk/films_details.php?FilmID=77
(今年のロンドンでのレズビアン・ゲイ映画祭公式サイトのプログラム紹介)
Haru - The Island of the Solitary
showing with Travel with Tove (Finland, 1993 - 60 mins)
Tove Jansson and her girlfriend spent 25 summers on the island of Klovharu, in the Gulf of Finland. This dreamy documentary, never before shown in the UK, by veteran Finnish film-maker Kanerva Cederstrom is based on 20 hours of Super8 footage shot by Tuukikki covering the time from 1970 to 1991 with commentary written by Tove. Observations of their daily life and natural surroundings spill out in an endless lyrical rhythm.
孤独の島ハル トーベとの旅行記(フィンランド 1993年、60分)
トーベヤンソンとガールフレンドはフィンランド湾のKlovharuという島で25度の夏をともに過ごした。この夢のようなドキュメンタリーはイギリスでは初めての放映、フィンランド出身の映画製作者Kanerva Cederstromがトゥーリッキ(R注:ヤンソンのガールフレンド)によって1970年から1991年の間に撮影された、トーベ自身によるコメントつきの20時間にわたる8ミリフィルムをもとに制作している。日常生活の観察や彼女らをとりまく自然が、ずっと続くヤンソンの詩のリズムに溶けてあふれだしている。janson_resource
「ウエイトレス美人度指数」ですけど、基本的に美人は、モデルになったり有名企業の受付になったり、そもそもお金持ちと結婚して働く必要がなかったり、いろいろな機会にめぐまれています。もちろん美人のウエイトレスがいるレストランは流行ります。だから、レストランは美人のウエイトレスを雇おうとしますが、レストランの安い賃金では引く手数多の美人はなかなか雇えません。
しかし、景気が悪くなって、ラグジュアリーなファッション・モデルの仕事が減ったり、企業が受付なんかにお金をかけなくなったり、そもそも結婚相手のお金持ちが減ったりすると、美人のウエイトレスが増えてくる、というわけです。だからウエイトレス美人度指数というのは、経済の動向を占う重要な指標となりうるのです。
“Appleでさえ、一から実装し直すと、地図アプリの完成度がその辺のカーナビに劣る。ソフトウェアは継続的に育てないと勝負できない。製品開発の度にソフトウェアを外注していては勝てないという事に日本の家電メーカーが気付くといいですね。”
— ソフトウェアは継続的に育てないと勝負できない (via shibata616)
